リブ・ヤング!
リブ・ヤング!は、フジテレビにて1972年4月2日から1975年3月29日まで放送された若者向け番組である。
放送時間
放送期間 | 放送時間(JST) | 備考 | ||
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第1部 | 第2部 | |||
1972.04.02 | 1972.09.24 | 日曜 16:15 - 16:45(30分) | 日曜 17:00 - 18:00(60分) | 16:45-17:00は「サンケイテレビ日曜夕刊→FNNテレビ日曜夕刊」を挿入 |
1972.10.01 | 1974.03.31 | 日曜 16:15 - 17:45(90分) | テレビ日曜夕刊が17:45からに移動したため、1部・90分になる | |
1974.04.05 | 1974.12.27 | 金曜 23:20 - 翌0:15(55分) | ||
1975.01.11 | 1975.03.29 | 日曜 00:35 - 02:00(85分) |
概要
若者向けの音楽、映画、ファッション等を紹介する情報番組である。ディレクターの石田弘曰く「『平凡パンチ』に載っているような情報を全部画にしちゃえ」というところから生まれた番組であり、レギュラー出演者も『平凡パンチ』関係者が多かった[1]。また、ちょうど時代的にはグループ・サウンズが衰退して歌謡曲が復権しつつある時期だったが、歌謡曲を扱う番組は多かったため「情報番組だけど洋楽と日本のフォークやロックを専門でやることにして、後は遊び」という方向性で制作された[1]。
単に情報を流すだけではなく、歌手・バンド(サディスティック・ミカ・バンドやガロがよく出演していた)のライブ演奏や、「シンガーソングライターコンテスト」のような企画も設けられていた。「洋楽情報」コーナーでは、レコード会社のプロモーターに「洋楽のプロモーションはプロモーター自身で喋ってくれ」として枠を開放し、その結果石坂敬一のような名物プロモーターも生まれた[1]。
キャロルが初めてテレビ出演した番組としても知られている。
出演者
スタッフ
補足
- 日曜放送時代には、『日曜ワイドジョッキー』という冠が付いていた。
- 演出を担当していた石田弘はこの番組を足がかりに「ミュージックフェア」や「オールナイトフジ」といった番組群を手がけていくこととなる[2]
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c 第75回 石田 弘 氏 (株)フジテレビジョン エグゼクティブ・プロデューサー - musicman・2009年11月17日
- ^ 参考文献 :「なぜフジテレビだけが伸びたのか 独自の宣伝戦略・番組づくりにみる「アピール・テクニック」の秘密」オフィス・マツナガ著(こう書房刊)83頁ほか
フジテレビ 日曜16:15 - 16:45枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
金メダルへのターン! (再) | 日曜ワイドジョッキー リブ・ヤング! (第1部) (1972年4月~9月) | リブ・ヤング! (16:15 - 17:45) ※1・2部を統合 |
フジテレビ 日曜17時枠 | ||
日曜ワイドジョッキー リブ・ヤング! (第2部) (1972年4月~9月) | ||
フジテレビ 日曜16:15 - 17:45枠 | ||
リブ・ヤング!(第1部) (16:15 - 16:45) ※当番組へ編入 FNNテレビ日曜夕刊 (16:45 - 17:00) ※17:45へ移動 リブ・ヤング!(第2部) (17:00 - 18:00) ※当番組へ編入 | 日曜ワイドジョッキー リブ・ヤング! (1972年10月~1974年3月) | |
フジテレビ 金曜23:20 - 翌0:15枠 | ||
恋愛専科 (23:20 - 23:50) ガイド (23:50 - 翌0:00) 洋画パトロール (0:00 - 0:15) | リブ・ヤング! (1974年4月~12月) | スパイ大作戦 (再) |
フジテレビ 日曜0:35 - 2:00枠 | ||
夜のロードショー ※金曜0:25へ移動 | リブ・ヤング! (1975年1月~3月) | 夜のロードショー ※金曜0:25から再び移動 |
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