上組溜池
上組溜池 | |
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左岸所在地 | 長野県飯山市大字蓮 |
位置 | 北緯36度48分23秒 東経138度20分43秒 / 北緯36.80639度 東経138.34528度 / 36.80639; 138.34528 |
河川 | 信濃川水系皿川 |
ダム湖 | 上組溜池 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | アースダム |
堤高 | 15.0 m |
堤頂長 | 64.0 m |
堤体積 | 24,000 m3 |
流域面積 | 0.3 km2 |
湛水面積 | 1.0 ha |
総貯水容量 | 9,000 m3 |
有効貯水容量 | 9,000 m3 |
利用目的 | かんがい |
事業主体 | 蓮区 |
着手年 / 竣工年 | 1919年 / 1924年 |
出典 | [1] |
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上組溜池(かみぐみためいけ)は、長野県飯山市大字蓮にある池。信濃川水系皿川に建設された人造湖で、灌漑を目的とするため池である。
歴史
上組溜池がある飯山市蓮には、蓮堰と呼ばれる農業用水路が通っている。中野市穴田で千曲川(長野県内における信濃川本流の呼称)の支流・斑尾川の水を取り入れ、これを起点として替佐・笠倉・硲(はさま)・奥手山を経て蓮に至る。全長は13キロメートルに及ぶ。
蓮堰が開削されたのは江戸時代の元禄のころ。当時の飯山藩普請奉行・野田喜左衛門正満の手によるもので、彼は蓮堰のほか多くの用水路を整備した功績から「用水の神様」と呼ばれた。水路の勾配を日の当たる場所では平坦に、日陰になる場所では急勾配にというように緩急をつけているのは、水を稲作に適した温度まで上昇させるための工夫である。それまで蓮では畑作が農業の主体であったが、蓮堰の開削により水田が増加した。
蓮では用水路以外にもため池が造られていたが、1919年(大正8年)に飯山鉄道(現・JR飯山線)工事が始まると、線路敷設に伴い池の移転を余儀なくされる。これがきっかけとなって建設されたのが現在の上組溜池であり、同時に2号ため池および深沢尻引水路の建設が行われることになった。工事は1921年(大正10年)に起工、1924年(大正13年)に完成。総事業費は約3万円(当時)。
周辺
JR飯山線・蓮駅から、上信越自動車道・豊田飯山インターチェンジ方面に向かって進むと、飯山線の線路をまたいだ先に3つの記念碑が建つ場所がある。ここに通じている用水路が蓮堰であり、これに沿って細い道を進むと上組溜池に至る。
- 上組溜池ダム
脚注
- ^ 出典は『ダム便覧』および現地記念碑碑文。上組溜池の着工・竣工年について、『ダム便覧』は着手年記載なし、竣工年を「1918年」としているが、現地記念碑の碑文に「大正十年九月起工同十三年八月竣工す」とあるので、本項では着工年を「1921年」(大正10年)、竣工年を「1924年」(大正13年)とする。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、長野県のダムに関連するカテゴリがあります。
参考文献
- 江口善次ほか編『豊田村誌』豊田村誌刊行会、1963年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年。
- 『ゼンリン住宅地図 飯山市・木島平村・野沢温泉村・栄村 2008』ゼンリン、2008年。
- 現地記念碑
外部リンク
- ダム便覧(財団法人日本ダム協会) 上組溜池
- 用水の神様 野田喜左衛門正満