咸淳
この項目では、元号について説明しています。かつて咸淳府と呼ばれた中国の地名については「重慶市」をご覧ください。 |
咸淳(かんじゅん)は、中国・南宋の度宗の治世に使用された元号。1265年 - 1274年。
プロジェクト 紀年法
西暦等との対照表
咸淳 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
西暦 | 1265年 | 1266年 | 1267年 | 1268年 | 1269年 | 1270年 | 1271年 | 1272年 | 1273年 | 1274年 |
干支 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 |
元 | 至元2 | 至元3 | 至元4 | 至元5 | 至元6 | 至元7 | 至元8 | 至元9 | 至元10 | 至元11 |
出来事
- 景定5年
- 12月1日:度宗の即位により翌年を「咸淳元年」とする踰年改元の詔が下る。
- 咸淳元年
- 咸淳2年
- 7月11日:童子科を廃する。
- 咸淳3年
- 8月:モンゴル軍が襄陽に侵入して劫掠する。
- 咸淳4年
- 咸淳5年
- 3月14日:公田に役人を置き、租税を監督させる詔勅が出る。
- 12月2日:呂文徳死去。
- 咸淳6年
- 正月21日:成天暦が施行される。
- 8月25日:郡県に推排法が施行される。
- 10月10日:范文虎が襄陽・樊城を救援しに派遣される。
- 咸淳7年
- 3月23日:内外百司の官吏を減らす。
- 5月:モンゴル軍が四川・淮西に来襲する。
- 6月11日:范文虎の援軍が襄陽に至りモンゴル軍と交戦したが、敗退する。
- 11月15日:モンゴルが国号を「大元」と改める。
- 12月21日:士籍が設置される。
- 咸淳8年
- 5月:宋軍が襄陽の救援を再び試みたが、包囲を解くには失敗する。
- 咸淳9年
- 正月11日:樊城が突破される。
- 2月27日:襄陽の陥落。南宋の対モンゴル防御線が事実上崩壊される。
- 咸淳10年
- 7月9日:度宗が崩ずる。
- 10月22日:恭帝の即位により翌年から「徳祐」へ踰年改元の詔が下る。
関連項目
- 元号一覧 (中国)
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