悲しみの青春
悲しみの青春 | |
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Il giardino dei Finzi-Contini | |
ドミニク・サンダ | |
監督 | ヴィットリオ・デ・シーカ |
脚本 | ヴィットリオ・ボニチェリ ウーゴ・ピロ(英語版) |
原作 | ジョルジョ・バッサーニ(英語版) 『フィンツィ・コンティーニ家の庭(英語版)』 |
製作 | アーサー・コーン ジャンニ・ヘクト・ルカリ(英語版) アルトゥール・ブラウナー(英語版) |
製作総指揮 | ファウスト・サラシーニ |
出演者 | リノ・カポリッチオ(英語版) ドミニク・サンダ ヘルムート・バーガー ファビオ・テスティ(英語版) ロモロ・ヴァリ |
音楽 | マヌエル・デ・シーカ(英語版) |
撮影 | エンニオ・グァルニエリ |
編集 | Adriana Novelli |
配給 | 東和 |
公開 | 1970年12月4日 1971年10月9日 |
上映時間 | 94分 |
製作国 | イタリア |
言語 | イタリア語 |
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『悲しみの青春』(Il giardino dei Finzi-Contini)は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督による1970年のイタリア映画である。出演はリノ・カポリッチオ(英語版)、ドミニク・サンダ、ヘルムート・バーガーらであり、ジョルジョ・バッサーニ(英語版)の小説『フィンツィ・コンティーニ家の庭(英語版)』を原作としている。
プロット
北イタリアのエミリア地方にあるフェルラーラのはずれに住むユダヤ人一家・フィンツィ・コンティーニ家は地域のコミュニティとのつながりが薄く、その家の娘であるミコルとその弟アルベルトも学校にはあまり来なかった ある日、同じくユダヤ人である青年ジョルジュは、ミコルに誘われるかたちでコンティーニ家を訪れ、親しくなる。
やがてナチスが台頭する中、ミコルは過越祭の日にジョルジュと再会し、キスを交わすが、ジョルジュとの関係を拒む。 第二次世界大戦、コンティーニ家に忍び込んだジョルジュは、アルベルトの友人であるマルナーテがミコルと抱き合う様子を見て失望する。 その後、ジョルジュは病死したアルベルトの葬儀の場でミコルと再会するが、それが彼女の最後の姿となった。 後に、ジョルジュは家族とともにフェルラーラから脱出した一方、ミコルらコンティーニ家はナチスの収容所に収容された。
キャスト
- リノ・カポリッチオ(英語版)
- ドミニク・サンダ
- ヘルムート・バーガー
- ファビオ・テスティ(英語版)
- ロモロ・ヴァリ
受賞とノミネート
賞・映画祭 | 部門 | 対象 | 結果 |
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ベルリン国際映画祭[1] | 金熊賞 | ヴィットリオ・デ・シーカ | 受賞 |
アカデミー賞[2] | 外国語映画賞 | 『悲しみの青春』 | 受賞 |
脚色賞 | ヴィットリオ・ボニチェリ ウーゴ・ピロ(英語版) | ノミネート |
参考文献
関連項目
- 第44回アカデミー賞外国語映画賞出品作一覧(英語版)
- アカデミー外国語映画賞イタリア代表作品の一覧
外部リンク
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アカデミー国際長編映画賞(外国語映画賞) | |
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