藤原 諟子(ふじわら の ただこ/まさこ/しし、生年不詳 - 長元8年6月21日(1035年7月28日)[1])は、平安時代の女性。花山天皇の女御。
藤原頼忠の娘で母は厳子女王。永観2年(984年)より承香殿に入り、藤原姚子と同時に花山天皇の女御となった[2]。特別寵愛を受けたわけではないが、終始帝から目をかけられていたと言う[2]。後拾遺和歌集以下の勅撰集に3首の歌が残されている[1]。