ノルマンディー上陸作戦で敵襲に備える高速魚雷艇 高速魚雷艇 (こうそくぎょらいてい、英語 : Motor Torpedo Boat, MTB )とは、イギリス で開発された魚雷艇 の一種。同国海軍 のほか、アメリカ海軍 、カナダ海軍 、ノルウェー海軍 で使用された。またアメリカ海軍のPTボート (Patrol Torpedo boat)も高速魚雷艇の系譜に属している。
概要 水雷 兵器の発達とともに、これを主兵装とする戦闘艇として登場したのが水雷艇 であった。しかし水雷艇を大型化した駆逐艦 が登場すると、水雷艇のニッチ はこちらに奪われていき、残った水雷艇も沿岸用の小型駆逐艦としての性格が強くなっていった。その後を埋めるように、小型で高速・軽快なモーターボート を水雷襲撃に使用する構想が生じた。先鞭をつけたイギリス海軍 では1916年 にはCMB (Coastal Motor Boat ) を実用化したほか、第一次世界大戦 中には各国で同様の戦闘艇が開発・配備された。これらの高速戦闘艇 について、日本語圏では蒸気船 である水雷艇と区別して、魚雷艇と称される。
戦間期 にも各国は魚雷艇の開発を継続していたのに対し、CMBで先鞭をつけたイギリスは、大戦後しばらくは魚雷艇から遠ざかっていた。しかし1935年の第二次エチオピア戦争 を契機にイタリア海軍 と対峙するようになると、同海軍のMAS艇への対抗上から、再び魚雷艇の整備に着手した。これによって建造されたのが高速魚雷艇(MTB)であった。
1935年 にブリティッシュ・パワー・ボート(BPB)社が18m型艇をイギリス海軍に提案して採用され、1937年以降、大量に建造された。BPB社の18m型艇は当初6隻が発注され、その後量産に移行している。第2次世界大戦の勃発以降はヴォスパー・ソーニクロフト社やフェアマイル社なども建造に参入し、艇自体も21m型や35m型などへ大型化していった他、機動砲艇 (MGB ) の機能も統合し、砲兵装の重武装化も進んでいった。ドイツのSボート との交戦の戦訓なども取り入れられている。
中華民国におけるMTBタイプ艇の採用 1930年代の中華民国 海軍もイギリスのMTB系の高速魚雷艇の有効性に着目し、ソーニクロフト社製の魚雷艇CMBを導入して長江 流域や中国南部沿岸海域などで使用した。日中戦争 中、CMBの一部は上海 の黄浦江 で日本海軍 の第3艦隊旗艦出雲に雷撃を試みている。また、中華民国の海関(税関 )当局も、税関監視艇としてBPB社製魚雷艇を非武装仕様で導入しており、長江流域や中国南部沿岸などで密輸監視・取締活動に使用した。中国南部沿岸海域では、大型の監視船「福星」[ 注 1] に高速監視艇を搭載して広域的に取締活動を行うといった取り組みも行われている。
脚注 [脚注の使い方 ]
注釈 ^ イギリスで建造された3,800総トン級の貨物船を改装したもの。船橋前の前甲板に舟艇揚降用の大型ガントリークレーンを装備し、2番船倉内とその上の上甲板上に舟艇の架台を設けて監視艇数隻を搭載した。のちに日本海軍に捕獲され、特設測量艦「白沙」となる。
出典
参考文献 青木栄一『シーパワーの世界史〈2〉蒸気力海軍の発達』出版協同社、1983年。ASIN B000J7ASYC。 石橋孝夫『艦艇学入門―軍艦のルーツ徹底研究』光人社 〈光人社NF文庫 〉、2000年。ISBN 978-4769822776。 海人社(編)「第2次大戦のイギリス軍艦」『世界の艦船 』第283号、海人社 、1980年、ASIN B07H3XBNQ7。 筑土龍男「軍艦の分類呼称はどう変わったか」『世界の艦船』第332号、海人社、61-65頁、1984年2月。 今村好信 『日本魚雷艇物語-日本海軍高速艇の技術と戦歴』光人社、2003年。ISBN 4-7698-1091-1。 福井静夫 『日本補助艦艇物語』光人社〈福井静夫著作集 第十巻-軍艦七十五年回想記〉、1993年。ISBN 978-4769806585。 福井静夫『日本特設艦船物語』光人社〈福井静夫著作集 第十一巻-軍艦七十五年回想記〉、2001年。ISBN 978-4769809982。
関連項目 魚雷 Sボート - Schnellboot、ドイツ海軍 の魚雷艇 MAS - Motoscafo Armato Silurante、イタリア海軍 の魚雷艇。 魚雷艇 - 日本海軍 の魚雷艇は、各国の魚雷艇を参考に建造された。 高速艇甲 - 日本陸軍 が、ソーニクロフト社製魚雷艇CMBを原型として開発・装備した偵察・連絡用高速艇。
外部リンク British Military Powerboat Trust, www.bmpt.org.uk(英語) 典拠管理データベース: 芸術家