鷹司尚輔
凡例 鷹司尚輔 | |
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 享保11年(1726年) |
死没 | 享保18年3月6日(1733年4月19日) |
官位 | 従五位上、右近衛少将 |
主君 | 中御門天皇 |
氏族 | 近衛家→鷹司家 |
父母 | 父:近衛家熙、養父:鷹司房熙 |
兄弟 | 徳君、近衛家久、政姫、近衛尚子、安己君、房熙、宝演、寛深、尚輔、房子 |
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鷹司 尚輔(たかつかさ ひさすけ)は、江戸時代中期の公家。官位は従五位上・右近衛少将。鷹司家19代当主。後陽成天皇の男系五世子孫である。
概要
近衛家の22代目当主である近衛家熙の子として生まれ、五摂家の一つである鷹司家の19代目当主となった。従五位上となり、右近衛少将などを歴任した。
経歴
実兄・鷹司房熙(家熙の次男)が21歳で急死したため、5歳で房熙の養子として鷹司家を相続する。その後、従五位上・右近衛少将に任ぜられるが間もなく僅か8歳で病死。五摂家の歴代当主の中で唯一公卿に昇ることはなかった。
家族・親族
系譜
鷹司家
鷹司家は、近衞家実の子である鷹司兼平を始祖とし、五摂家の一つであった。
詳細は「鷹司家」を参照
近衞家
近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
詳細は「近衛家」を参照
皇室との関係
後陽成天皇 | 後水尾天皇 | 明正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後光明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後西天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
霊元天皇 | 東山天皇 | 中御門天皇 | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直仁親王 | 典仁親王 | 光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | 昭和天皇 | 明仁上皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
近衞信尋 | 近衞尚嗣 | 近衞基熈 | 近衞家熈 | 近衞家久 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹司尚輔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 係累縁者が多数に上るため、後陽成天皇以降の歴代天皇および関連する男系男子の人物を記載した。そのため、母方の系図は省略している。
- 高祖父の近衞信尋は、後陽成天皇の第四皇子として生まれ、近衞信尹の養子となり、近衞家を継承した。