コクオー
コクオー | |
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コクオーと松永光雄騎手 | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1934年 |
父 | アスフオード |
母 | 第一サンダーノ三 |
母の父 | ラシカツター |
生国 | 日本(青森県) |
生産者 | 三浦源五郎 |
馬主 | 村上菊松 |
調教師 | 土田順三(中山) |
競走成績 | |
生涯成績 | 30戦15勝 平地競走1勝 障害競走14勝 |
獲得賞金 | 7万5075円 |
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コクオーは日本の競走馬である。1939年春の中山農林省賞典障碍に優勝した。
1937年秋の中山で平地デビュー。開催7日目の3頭立ての競走で初勝利を挙げたが、横浜、東京ではすべて着外に敗れた。翌1938年の春季中山から障害競走に転じ、東京でも出走したが、ここも成績を残すことはできなかった。
しかし、夏に故郷の盛田牧場に放牧されると大きく成長を遂げる。秋の福島1日目こそ障害3000mのコースレコードを出したセイシヨウから4馬身差の2着に敗れたが、3日目に初勝利を挙げた。そして横浜の特ハンでコースレコードで勝ち、優勝戦も勝利。さらに東京では再び特ハンでレコード勝ち、古呼馬障碍特別でも春の農林省賞典障碍[1]を制したトクタカに7馬身の差をつけて勝利した。そして阪神、京都でもそれぞれ連勝で優勝戦に勝利し、障害の初勝利から9連勝を達成した。
1939年は中山で始動。初戦の特ハンで12kg軽いミスターシービー[2]に半馬身差で敗れ、連勝がストップしたが、続く農林省賞典障碍では重馬場の中、70kgを背負いながら、63kgのドーンプレイに7馬身の差をつけて1着となった。その後は70kgを越える斤量を課せられることになり勝ったり負けたりを繰り返したが、秋に京都、そして東京の古呼馬障碍特別をそれぞれ2着に大差をつけて勝利し[3]、東京開催後に満量のため引退した。
引退後はサンダーリングという名前で繁殖入りして、2010年代まで牝系を存続させた。
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ
中山大障害勝ち馬 | |
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1930年代 | 第1回 キンテン / 第2回 イサハヤ / 第3回 オーシス / 第4回 ジユピターユートピア / 第5回 トーナメント / 第6回 フソウ / 第7回 キンテキ / 第8回 トクタカ / 第9回 リードアン / 第10回 コクオー / 第11回 シヤインモア |
1940年代 | 第12回 キヨクジツ / 第13回 スタミナ / 第14回 ライハルオン / 第15回 ゼーアドラー / 第16回 ホウカツピータ / 第17回 バイエル / 第18回 モトクマ / 第19回 カミワカ / 第20回 ニユージヤパン / 第21回 フクレイ / 第22回 ブルーホマレ / 第23回 カミカゼ / 第24回 ブランドライト |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | 第84回 オキノサコン / 第85回 カチウマタロー / 第86回 ナカミショウグン / 第87回 テキサスワイポン / 第88回 キングスポイント / 第89回 キングスポイント / 第90回 オキノサキガケ / 第91回 オキノサキガケ / 第92回 メジロジュピター / 第93回 メジロアンタレス / 第94回 ブルーフラール / 第95回 オンワードボルガ / 第96回 ライバコウハク / 第97回 ハッピールイス / 第98回 メジロアンタレス / 第99回 シノンシンボリ / 第100回 メジロアイガー / 第101回 ヤマニンアピール / 第102回 キョウエイウオリア / 第103回 メジロマスキット |
1990年代 | 第104回 パンフレット / 第105回 ワカタイショウ / 第106回 シンコウアンクレー / 第107回 シンボリモントルー / 第108回 シンボリクリエンス / 第109回 シンボリクリエンス / 第110回 メジログッテン / 第111回 ブロードマインド / 第112回 ブロードマインド / 第113回 ローズムーン / 第114回 ダイカツストーム / 第115回 フジノスラッガー / 第116回 ポレール / 第117回 ポレール / 第118回 ポレール / 第119回 ケイティタイガー / 第120回 ノーザンレインボー / 第121回 ビクトリーアップ / 第122回 ゴッドスピード |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |